Issey Miyake『Le Sel d’Issey』香水レビュー

Issey Miyake Le Sel d’Issey イッセイミヤケ(Issey Miyake)

イッセイミヤケの『ルセルドゥイッセイ』レビューです。

最初のひと吹きで感じるのは、まるで霧のかかった浜辺に立っているかのような、乾いた海の空気。塩気を帯びたミネラル感と共に、控えめに漂うウッディさが全体を静かに支えています。

けれど、これはよくある「マリン系フレグランス」とは違う。青々とした波飛沫のような爽快感ではなく、むしろ波が引いた後の濡れた石と海藻、そんな印象に近い。まさに「潮(Le Sel)」という名にふさわしい香りの風景です。

けれど、その”塩”の描き方が面白い。直接的な塩の香りというよりは、ミネラルと湿った苔、そしてわずかに鉄分を含んだような空気の香りで表現されているように感じます。

海岸沿いの岩肌から立ち上がる、冷たく乾いた風を想起させるのは調香師カンタン ビッシュのバランス感覚によるものでしょうかね。ミネラルの側に傾きすぎず、それでいてウッディに落ちすぎない、その絶妙な距離感が保たれている。

この香水を構成する香料として、公式に発表されているのは「ジンジャー、海藻、ベチバー、シダーウッド、オークモス」などですが、それだけでは到底説明しきれない奥行きがあります。

例えば、冒頭の乾いた塩気を支えるのは、単なる海藻や塩のニュアンスだけではなく、おそらくカロン(Calone)のようなマリン系合成香料や、ヘリオナール(Helional)、アンブロセ二ド(Ambrocenide)のようなミネラルウッディ系の香料が影で響いている可能性があるかなと思います。ヘリオナールは、水草やフレッシュな水辺の印象を与えることで知られている合成香料。

さらに、塩と木の間に存在する「温度」を操るのがジンジャーの役割ではなかろうかと。ジンジャーは一般にスパイシーな要素として使われるが、この香水ではむしろほのかな温もりとしての作用が感じられます。冷たい潮風の中に漂う、かすかな人肌のような温かみ——それを添えることで、単なる冷たいミネラル香ではなく、「人がそこにいる海辺の風景」に仕上げているのかもしれない。

一方で、この香りにはやや平板に感じられる瞬間もあるのです。トップからドライダウンまで、大きな変化があるわけではない。最初に現れる塩とウッディ、ミネラルの風景が、時間と共にやや柔らかくなるとはいえ、最後までそのまま続いていく。このため、ドラマティックな香りの展開を求める人にとっては、物足りなさを感じるかもしれない。環境っぽさというか。

しかしその一貫性こそがこの香水の価値でもあるとも。つまり、香りに動きや展開を求めるのではなく、「静かな佇まい」を求めるならば、これほど誠実な香りも少ない。まるで一枚の風景画、あるいはジョルジョ・モランディの静物画のように、控えめでありながら内に深さを持つ。

興味深いのは、このフレグランスの持続時間の長さ。公式にはオードトワレ(EDT)ですが、比較的長時間肌に残ります。この点だけを見ればパルファム濃度に迫るほど。ただし、投射(拡散力)は穏やかで、自分のパーソナルスペース内にだけそっと香るタイプかなこれ。強く主張しない香水を求める人にとっては理想的かもしれない。

なぜこれほど持続するのか。その理由を推測すると、やはりアンブロフィックス(Ambrofix)アキガラウッド(Akigalawood)のような「乾いたウッディアンバー系分子」の存在が考えられる。アンブロフィックスは、高級なアンバー調の残香を与える合成香料で、近年では持続性を求める香水に多用されている。一方でアキガラウッドは、パチョリとウッドの中間のような香りで、ドライダウンの「潮風に晒された木片」のような余韻を支えているかもしれない。

ただし、全体を通して香りの輪郭はやや人工的でもある。たとえば、「潮の香り」とは言っても、実際の磯や潮溜まりのような生臭さは一切ない。むしろ「イメージされた塩」であり、都会的な解釈の潮風に近い。そこが好きな人もいれば、「リアルな海」を求める人には物足りなく映るのではないだろうか。

この香りはどこか20世紀後半のポストモダン芸術を思わせるところがあります。本物ではなく、あえて作られた自然(展示会場もその様なクリエイションでした)。まるで人工のビーチリゾートのように、人の手で設計された美しい海。その意味では、リアルを求める現代のナチュラル志向には逆行する香りかもしれない。

この香りがなぜこのような香料で構成されているのか考えると、やはり「時間の止まった海辺」という世界観なのかな。動きの少ない香り、冷たいようで温もりもあり、そして長く残る。まるで永遠に変わらない風景を描きたかったのではないか。カンタン ビッシュがこの香りに込めたもの、それは「記憶の中の海」のようなものだったのかもしれない。

『Le Sel d’Issey』は静かに佇むフレグランス。動きや派手さよりも、存在そのものの余韻を楽しむ香りだと言えます。

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